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秋葉山 圓通寺

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御朱印 - 秋葉山 圓通寺
由緒:
熱田の両参り「熱田さま」「秋葉さま」としてしたしまれている秋葉大権現は火の神様として敬われ“火防守護”その他七難を除き、除災開運・家内安全・授福繁栄の神様です。
 日本最古唯一の秋葉大権現ご出現の霊場で、今より千八百年程前草薙剣を奉齊した熱田神宮の境内に日本武尊を火難から救い、わが国の平和を守られた秋葉大権現を祀られたのが「秋葉社」の始めです。以後、全国各地でご分神がお祀りされるようになりました。

補陀山圓通寺は山号を羽休山、秋葉山ともいう。境内は宮簀媛命が夫の日本武尊より預った草薙剣を奉じて熱田神宮を造営された際、この神剣と一体になって火難より救い、中部地方の平定を助けた秋葉権現を祀った「秋葉社」の地にあたる。

 この霊地に一小宇があった。白鳳年間(六七三〜六八五)には加賀の白山神社を開いた泰澄大師が錫を留め、自ら十一面観音を造作した。次いで、弘仁二年 (八一一)に弘法大師空海が熱田神宮に参籠された折、やはり自彫の十一面観音を奉納安置して.寺を創建した。これが圓通寺の始りである。

観音像を安置した堂宇は老松の下にあったため、世に「松下の観音」と呼ばれていたが、永享十年 (一四二八)に熱田神宮祝詞師田島仲宗の懇請により、寒巌義尹禅師より五代の法嗣誓海義本を開山に迎え、曹洞宗として再興された。山号は松露山と称した。なお、再興年次については明徳二年 (一三九一)、嘉吉年中(一四四一〜四三)、宝徳年中(一四四九〜五一)の説もある。誓海について秋葉三尺坊が修行したとも伝えられており、文明元年(一四六九)には大明禅師の諡号を受けた。

 二世明谷義光は熱田神宮大宮司千秋家の出身で、常安寺(豊場)、法持寺(白鳥)、福重寺(白鳥)を創建しており、文明十四年(一四八二)十月十二日に示寂した。明谷はその他多くの寺院からも開山に勧請されており、門流発展の礎を築いた。なお、誓海と明谷は自ら三尺坊を彫っており、現在も神殿に祀られている。

明谷の示寂した後、当寺の運営は末寺からの輪住制をとった。それは明谷の遺言ともいわれている。最初に明谷の一番弟子であった悟峰宗得(常安寺二世)が就き、その後は維玄義中(法持寺二世)、徳中義雲(福垂寺二世)ら明谷の開いた三ヵ寺の住持が交代で輪住した。輪住期間は一年とは限らず、二年、三年、四年の人もいたようである。
 圓通寺の輪住は、十三門派によって運営される本寺普済寺(浜松)の輪住にも当たった。『普済寺前住牒』によれば、大永二年(一五二二)に南齢牛誉(四世)、天文五年(一五三六)に天海孤舟 (五世)、天文十六年(一五四七)には同じく天海が再住していることを記している。ところが、「円通現住記及末山略考」(圓通寺蔵)による南齢牛誉、天海孤舟の存命年次及び圓通寺住持期間とはまったく異なっており、同名異人となってしまう。おそらく『普済寺前住牒』の記入誤りかと思われる。

 輪住時代については今後解明していかなければならないが、その間に諸堂は烏有に帰した。そのため正保二年(一六四五)、あるいは同四年(一六四七)、慶安四年(一六五一)の説もあるが、開基家の末孫田島仲秀が官衙に訴え、無能秀榎を常在する山主(独住)に請して草創期の盛挙に復興しようとした。しかし、残念ながら無能は承応三年(一六五四)四月二十六日に示寂したため、復興はできなかった。その後は了然(世代に人らず)、天海孤舟(五世)独運聞瑞(世代に人らず)、南齢牛誉(四世)、玉葉耕雲(六世)、栄室存盛(七世)、碧峰儀春(八世)と続き、住持期間は短いが、現在の歴任世代にみえない人、現在の世代順序と異なっている人もみえる。





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秋葉山 圓通寺公式から【5月1日より新しい御朱印なります。】

5月1日より新しい御朱印なります。志納料は300円です。ご参拝をお待ちしております。無くなり次第柄模様は変更します。
※受付時間は9時~16時となります。郵送対応もさせて頂きます。御朱印、代金引換、送料あわせて1000円です。下記のフォームからご注文下さい。

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